膨大な奨学金返し、最低賃金で働き続ける人が多発!自己実現できないと死ぬ日本
より抜粋
今は接客業、看護師、苦情処理、介護士、広報などの職種だけでなく、ほとんどの仕事にコミュニケーション能力を中心とする感情労働が求められています。
一定時間働いて、「成果を出してくれればそれでいいよ」というわけではなく、「キャリアで自己実現しなさい」ということも要求される。
会社にも積極性を求められるし、メディアでも、それが価値の高い生き方なのだと喧伝される。
今日の学生は、「君たちはフレキシブルなコミュニケーションを身につけて自己実現を準備しなければならない」
「生き甲斐のある働き方を見つけないと、これからの流動化した時代には適応できない」と教育されます。
「君たちは一生、個性や積極性を発揮することによって、自分を見つけだし、生き甲斐のある仕事を見つけだし、コミュニケーションし、
新しい価値を創出していくことによって貢献していかなければならない。そうでなかったら、死ぬ」と言われているような感覚があります。
これは、借金の担保に、モノではなく学生自身が入れられているようなものです。
「自分が大切なんだ。自分を発見しなさい。君たちのオンリーワンの個性をもって、フレキシブルに創造的に生きて行こう」と勧めているのです。
こういうソフトな自己実現型のプレッシャーは、画一的なプレッシャーよりもきつい部分があります。
かつての画一的なプレッシャーのもとでは、一定の労働を果たしさえすれば、あとは凡庸で普通の幸せにとどまることが許されました。
退勤後も自己啓発本を読んだり、英語の勉強をしてスキルアップを狙い、
「より充実したキャリアで自己実現しよう。それができない自分は無能だ」というような重圧をコンスタントに与える労働支配は、最近になって加速しています。
運命論から脱出するための運動
自己実現型のプレッシャーのもとでは、すべては最終的に「才能」の問題になってしまいます。
コミュニケーション能力や、個性的な創造性、生来のものを教育で鍛えるというのは、実はかなり無理のある話なのです。
このような社会の中では、多くの学生が自分は運命的にダメなんだと感じてしまう。
だから、長時間労働や低賃金といった条件にも従うしかないという心境になるのです。
社会に負債を負い、「運命的に自分はこうやっていくしかない」と追いつめられている若者や非正規労働者たちに、
こうなったのは運命でもなんでもなく、社会の労働の在り方や具体的な法律が原因であって、変えることができる、
「この重圧は不当だ」と言っていいのだと伝えるべきではないでしょうか。 (構成=林克明/ジャーナリスト)
ソースより抜粋 BizJournal
http://biz-journal.jp/i/2016/07/post_15919_entry.html
より抜粋
今は接客業、看護師、苦情処理、介護士、広報などの職種だけでなく、ほとんどの仕事にコミュニケーション能力を中心とする感情労働が求められています。
一定時間働いて、「成果を出してくれればそれでいいよ」というわけではなく、「キャリアで自己実現しなさい」ということも要求される。
会社にも積極性を求められるし、メディアでも、それが価値の高い生き方なのだと喧伝される。
今日の学生は、「君たちはフレキシブルなコミュニケーションを身につけて自己実現を準備しなければならない」
「生き甲斐のある働き方を見つけないと、これからの流動化した時代には適応できない」と教育されます。
「君たちは一生、個性や積極性を発揮することによって、自分を見つけだし、生き甲斐のある仕事を見つけだし、コミュニケーションし、
新しい価値を創出していくことによって貢献していかなければならない。そうでなかったら、死ぬ」と言われているような感覚があります。
これは、借金の担保に、モノではなく学生自身が入れられているようなものです。
「自分が大切なんだ。自分を発見しなさい。君たちのオンリーワンの個性をもって、フレキシブルに創造的に生きて行こう」と勧めているのです。
こういうソフトな自己実現型のプレッシャーは、画一的なプレッシャーよりもきつい部分があります。
かつての画一的なプレッシャーのもとでは、一定の労働を果たしさえすれば、あとは凡庸で普通の幸せにとどまることが許されました。
退勤後も自己啓発本を読んだり、英語の勉強をしてスキルアップを狙い、
「より充実したキャリアで自己実現しよう。それができない自分は無能だ」というような重圧をコンスタントに与える労働支配は、最近になって加速しています。
運命論から脱出するための運動
自己実現型のプレッシャーのもとでは、すべては最終的に「才能」の問題になってしまいます。
コミュニケーション能力や、個性的な創造性、生来のものを教育で鍛えるというのは、実はかなり無理のある話なのです。
このような社会の中では、多くの学生が自分は運命的にダメなんだと感じてしまう。
だから、長時間労働や低賃金といった条件にも従うしかないという心境になるのです。
社会に負債を負い、「運命的に自分はこうやっていくしかない」と追いつめられている若者や非正規労働者たちに、
こうなったのは運命でもなんでもなく、社会の労働の在り方や具体的な法律が原因であって、変えることができる、
「この重圧は不当だ」と言っていいのだと伝えるべきではないでしょうか。 (構成=林克明/ジャーナリスト)
ソースより抜粋 BizJournal
http://biz-journal.jp/i/2016/07/post_15919_entry.html